ABU’s blog

世界競馬場めぐりと旧街道を行くの続編

旧街道をいく 第6回~トンネルにロマンあり~ (2016年5月5日)

伊勢参り6回目は興津からスタートです。

興津は山と海が迫り建物が低い印象です。
車はバイパスに流れるので、車通りの少ない道を淡々と進みます。
少しづつ山が遠のき、建物も新しくなってきたところで江尻の宿です。
シャッター街となった駅前商店街は寂しげではあります。
このあたりから靜鉄ストアの天下が始まります。

メインの通りから一本入った通りはやはり車通りのまばらな道です。
見所としては追分羊羹の本店くらいでしょうか。
靜鉄の近くを通りながら草薙に近づきますが、
ここから旧道は登りはじめます。
日本平と靜鉄の間の小高いところを旧道は進みます。
どうやら草薙周辺の高台は高級住宅街のようでした。
わざわざこのようなところを通るということは、
かつてふもとは通りづらい湿地にでもなっていたのでしょうか。

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考えれば安倍川の三角州において、突然盛り上がった日本平は非常に不思議な地形です。
後で調べたところでは、ここは近く変動が激しいところのようです。
東海地震が取りざたされるのも納得です。

東静岡が近づけば道は再び平坦です。
謎のラブホ街を抜ければグランシップが見えてきます。
そのまま府中の宿にたどり着きますが、
現在も過去と同様ここの規模は群を抜いています。
おそらく往時と街の広さはあまりかわらないのかもしれません。
町名からも街の広がりが感じられるものです。

中心街を抜けて安倍川に向けて駒形通りを歩きます。
急に店が少なくなりますが、少し歩き疲れたので喫茶ラブリーで休憩します。
オークション出品代行(?)がメインなのでしょうか。
静かすぎる店内に不思議な感じがしました。

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安倍川を渡り、手越から丸子に向かいます。
途中造り酒屋の亭主に話しかけられて、お店に寄り道。
小さい日本酒を飲みながら談笑。
ここは戦時の空襲をくぐり抜けた数少ない酒蔵とのことです。

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ラウンドワンを越えればすぐに丸子宿。
山が迫る感じはありますが、登りはさほどではありません。
宿の外れ、丁子屋まで行って1日目はここまで。
中部国道線のバスで静岡に戻ります。

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天気が懸念されましたが、雨は夜中だけで上がり二日目も同じ地点からスタートです。
丸子川沿いを進みますが、宇津ノ谷峠に近づくにつれて道はすこしづつ登っていきます。
宇津ノ谷トンネルの手前、道の駅から旧道はわかれます。
ここには、明治・大正・昭和・平成のトンネル4本がある珍しい場所です。
昭和・平成は現在の国道、大正トンネルは工事中でした。
江戸時代の旧道に沿って頂上近くに明治トンネルはあります。
200mほどのトンネルですが、よく整備された有形文化財です。
入り口ではボランティアの方の解説もあり、
ハイキングコースとしては非常によいところです。
ここには蔦の細道という平安時代の道もあるとのこと。
標高も低く自然の中を歩くにはちょうどよい長さです。

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分水嶺なのでトンネルを抜けると風が変わります。
下山してからは岡部川に沿って歩きます。
岡部宿は東海道線から外れていることもあり、今は人通りもまだらです。
玉露の産地としても有名なようです。
ご当地グルメとしての岡部焼きそばは、
麺に茶葉が練りこまれた塩焼きそばです。
焼きそばもおいしかったのですが、
それ以上に同時に出てきたお茶が非常に美味でした。

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藤枝に向かいますが、
旧道としての藤枝の中心地・本町は駅からずいぶんと手前でした。
かつては田中藩と言い、城下町であったとのこと。
商店街は現在でも店がたくさん残っており、藤枝の新たな一面を発見です。
通りを外れたところには温泉の表示もあり、藤枝なかなか侮れません。

反して藤枝駅前はやや寂しい印象でしたが、今回はここまでで62806歩。
一里塚も50個を数えました。
次回は金谷からの登りが難所でしょう。

世界競馬場めぐり第6回 ~新新バイパスと直線競馬~ (2015年8月11日)

f:id:ABU:20181008224735j:plain先週は夏休みをいただいて新潟競馬場にいってまいりました。
ソウル競馬場のアップを忘れていたので、4年ぶりの更新になります。オワコンなんのその、記録は大事です。

新潟競馬場の特徴はやはり1000m直線競馬です。
スタンドからはまったくみえないスタート地点は敷地の広大さを物語ります。
ただ実際にいってみると交通の便が悪い。これは問題です。
新潟駅からはバイパス経由で30分かかります。
逆に言えばその立地だからこそこの敷地が確保できたとも言えます。
旧関屋競馬場(新潟島)では実現できなかったことでしょう。

当日はレパードSの日だったのですが、どういうわけかガラが悪い。
3階にもかかわらず二件もケンカに遭遇しました。
平均年齢も高く、若い競馬ファンが少ないという印象です。
人口比率を表しているのか、交通の便が若者を遠ざけているのか。
せめてJRの駅から徒歩圏内であれば少しはかわるかもしれません。

収穫はターフィーショップの新潟限定グッズ。
トキとターフィー君のコラボレーションは強引ですが地方を感じるのでありです。
関屋記念タオルとともに購入しました。

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旧街道をいく 第5回~富士川の戦い (2014年10月1日)

伊勢参り5回目は沼津から出発です。

真夏は過ぎて日陰は時折涼しい風も吹くような陽気でしたが、
日なたは歩くと汗ばむほどです。
これが後々影響してきます。

沼津から片浜・原にかけては延々と住宅地の間を進みます。
バイパスのほうに商業施設はいってしまったのか、
何キロもほとんど店がない道です。
歩き始めだからよかったものの、終盤だったら実につらい道です。

田子ノ浦で少し道を逸れて海沿いに出てみます。
歌に詠まれた田子ノ浦はきれいな弓なりの海岸線ですが、現在はテトラポットが並んでします。

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遊泳禁止なので浸食が進んでいるのでしょうか。
海岸沿いには防砂林の松並木が並んでいるのですが、
海風の影響で倒れて成長しているのがユニークです。

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住宅街から工業地帯にかわるところが吉原宿です。
JR吉原駅前は寂しいもので、岳南鉄道の乗換駅という印象で、
かつての宿場町は岳南鉄道吉原本町駅の方です。
昼の商店街はシャッター店も目立つのですが、
夜のお店は散見されました。富士のほうからから遊びにくるお客さんもいるのでしょうか。
まだ3時だったので渋い喫茶店でビールを一杯いただきます。
吉原宿から富士駅周辺は郊外型店舗店の多い地区を進みます。

日が傾きかけたところで富士川に到着します。
橋の上から眺める景色は広々とした三角州を実感できます。
昔に比べると平野の眺めや川の走行もかわっていることでしょう。

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現在の国道はここから海に向かって低地を走るのですが、
旧道は河岸段丘の一段上を進みます。
ここまできて暑さによるダメージの蓄積が響いてきます。
というのもここのアップダウンが思いのほかきつく、
権太坂と同レベルの高低差です。
新幹線や高速道路の上や下を通ったりする影響もあるのでしょう。
途中にあった瓶のコーラの自販機には救われました。
丘を越えて海が見えるとここを一気にくだって蒲原宿にて一泊です。

翌朝は蒲原から由比までは旧道の風情のある通りです。
思いのほか距離があったのと前日の脚のダメージが残っていることから、
ペースはあがりません。
由比駅を超えたら難所薩埵峠です。
といっても実際の標高は100m程度でしょうか。
中腹の休憩所では各地のナンバーをつけた車が大勢止まっていました。
休憩所から西側へは遊歩道で下ります。
一部階段がありますが、杖が貸し出してあるのはありがたい配慮です。
一気にくだれば興津駅はすぐです。

ダメージがひどかったので今回はここまで。
初日に距離を稼いだので久々に6万歩を超えました。
次回は静岡から宇津ノ谷峠を目指します。

旧街道をいく 第4回~山伏下山 (2014年3月30日)

伊勢参り4回目は箱根芦ノ湖の関所前からスタートです。

今回は下山ですが、最初は箱根峠に向けての上りになります。
国道1号線は東側の芦ノ湯付近に最高地点(874m)がありますが、
旧道は東側で高いところを通りません。
そのため東海道の最高地点は箱根峠(846m)となります。

駒形神社の付近から旧道、というかほとんどけもの道に入っていきます。

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ここから4つの名前のついた坂を経て箱根峠です。
しかしこの道が思いのほか急勾配。
国道がクネクネ登っているところを真っすぐ突っ切っているのでまあ当然ですが、
芦ノ湖(723m)から箱根峠の標高差を、看板によると400mで登ります。
平均30パーセントの上り坂!
最後など坂ですらなく階段でした。
箱根新道との合流点近くで国道に出ますが、
ここの入り口だけ見ると、とても入る気のしないような小さな道、というか階段です。

箱根峠を超えると静岡県です。
ドライブインの大きな駐車場があり、
ここから芦ノ湖カントリークラブ方面の脇道にそれていきます。
少し進んだところから旧街道の看板があり、
山道に入っていきます。
ちなみにここからは管轄がかわり、
看板担当は三島市教育委員会です。

 

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横からの枝が張り出していてくぐらなければいけないようなところもありますが、
総じて緩やかな下り坂で、非常に歩きやすい道です。
国道もそうですが、西坂は日当りもよい道です。
しかし東坂にくらべると歩いている人はほとんどいません。
温泉のついでなどではなく、みんなこの道を目標にしているようなハイキング好きの中高年たちでした。
その中にひとり、明らかに異様な人が一人いました。
おそらく60代の男性なのですが、格好が白装束の山伏なのです。
持ち物はリュックサックとデジカメとホラ貝。
この人は史跡や記念碑に着くたびにホラ貝を吹き出します。
何度か抜きつ抜かれつをしたのですが、
結局三島まで一緒に下りていくことになります。

なんどか国道との合流と分岐を繰り返した後に、
山中城跡に到着です。
ここはもともと小田原・北条氏の城だったのですが、秀吉に滅ぼされたそうです。
山の中にしてはかなり面積の広い城です。

山中城跡を超えると眼下に三島の町が見えてきます。
というか、平野が見渡せるところに城を作ったというほうが正解でしょう。
西側の見張りという当時の役割がうかがえます。

ここからも歩きやすい下り坂が続きますが、
植林の中を進む場所が増えます。
石畳も妙にきれいに復元されていて、当時とは少し趣が違うかもしれません。

笹原新田まで下りてくると民家もだいぶ増えてきます。
このあたりはすでに舗装路なのですが、
ここから先の坂・こわめし坂の勾配は恐るべきレベルです。

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舗装路としては初めて見るレベルの急勾配です。
三ツ谷新田まで一気に下ります。

三ツ谷新田から先は緩やかな下りに戻ります。
道幅以外はあまり旧街道らしいところはないかもしれません。
伊豆フルーツパークを超えると三島はもうすぐです。

三島の町に入ると、通り沿いに三島大社があります。
非常に大きな神社なのですが、
訪れたときはちょうどサクラが見頃でした。
人出も多く、この辺のサクラの名所です。

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三島広小路駅前で、
少しアクの強い店主の喫茶店で一休み。
ここから沼津までは一息です。
旧道を淡々と真っすぐ進みます。

途中黄瀬川にかかった橋があるのですが、
完成がなんと今月。
こんなに新しい橋を渡るのは初めてでした。
車通りの多い県道に合流するとすぐに沼津駅周辺に到着します。

翌日が大雨になってしまったため今回はここまで。
次回は蒲原・由比あたりまでが目標になります。

旧街道をいく 第3回~箱根の山は天下の険~ (2013年5月19日)

伊勢参り3回目は大磯からです。

初日はあいにくの天気。大磯から雨の中国道1号線を歩き始めます。
狭めの歩道を進みますが、はっきりいって特に何もありません(笑)。
途中で城山公園や押切の坂で側道に入ると、旧街道の道幅を感じるところがありますが、
それもすぐ終わってしまいます。
あとは海も見えず、細かなアップダウンを繰り返しつつの同じ景色の連続です。
そして雨のため歩道を歩いている人がまったくいません。
いや、二人だけいました。
反対側の歩道に大雨の中カッパにママチャリで大荷物をくっつけた外人二人が。
なにを考えているのでしょうか?

国府津にさしかかったあたりで雨はピークに。
あきらめてしばしガストで休憩です。
15年前もこの近くで雨宿りをしたことがなつかしく思い出されます。
つくづく国府津とは相性が悪いようです。

雨も割に早くにあがり、酒匂川を越えて小田原市街地に向かいます。
片側1車線の道が突然広くなったらもう小田原の中心部です。
例によって宿場の江戸側の入り口「江戸見附」もみつかりました。
しかし宿場町としての小田原はこれまでの町と比べてもその面積はかつてない規模のようです。
往年の栄光がしのばれます。

翌日は天気もすっかり良くなりいよいよ箱根登山です。
国道1号の脇道に何度かそれますが、基本的には同じところを通ります。
そして小田急箱根湯本駅がみえたところで三枚橋を左折します。
ここからは旧東海道。ちなみに現在の国道1号線は明治に入ってから整備された道のようです。

湯本・奥湯本と温泉宿がちらほらと続きます。
ちょうどチェックアウトの時間ということもあり、
学生や家族連れの姿が目立ちました。
手ごろなお値段のところが多いのでしょうか。

三枚橋から1時間も進むとだいぶ宿も少なくなってきます。
ここで昨日の外人二人組か自転車で下ってきました。
怪訝そうな顔でこちらを見られましたが、まあそうでしょう(笑)。

須雲川の集落に差し掛かるあたりから、
ときおり「石畳の道」がでてきます。江戸時代をしのばせる情緒がありますが、
いかんせん急で滑ります。ヒールは厳禁ですのでお出向かれる際は御注意を。

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江戸時代の旧道沿いには昔からこのような小さな集落が点在していたそうです。
理由としてはきつい山道の休憩所として、そしてそのような道の管理運営のためだそうです。


須雲川を越えてからしばらく行くと江戸時代の旧道に重なる道が遊歩道として出現します。
ところどころに石畳もありますが、もはや完全な登山です。
途中に丸太橋などもあり、ここがあのリゾート地箱根かとは信じがたい光景です。
ちなみにこの道はちょくちょく舗装路と合流します。ふもとからのバスも通っていますので、
エスケープの充実した登山道としてはお手頃かもしれません。

宿場と宿場の間にある「間の宿」である畑宿に到達しました。
ここでランチにそばをいっぱいいただきます。
というか一軒のそば屋以外何もありません(笑)
ここからが東海道最大の難所・七曲(ななまがり)の急坂です。

七曲はその名の通り何度もくねくね曲がる道です。
平行する舗装路も箱根新道も同じようなルートを描きます。
この間を階段と石畳で縫うように進んでいきますが、
さすがにきついです。
ここまで標高400メートル登ってきた後にいきなり階段200段はこたえます。
それでも木陰に隠れながらなんとか進めば、甘酒茶屋に到着します。
昔の箱根の人足(箱根の雲助)が超人的な体力を持っていたんだと痛感させられます。
ここを駕籠で登るのは現代人には無理です。

甘酒茶屋から今一度石畳の道を進みます。

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割にきついところもありますが、芦ノ湖は目の前だと信じて進みます。
ちなみに江戸時代の情緒を手軽に感じたいのであれば、甘酒茶屋から芦ノ湖までのルートが30分ほどでいけてよいかもしれません。
歩いている人も大勢いました。

そして午後1時過ぎに芦ノ湖に到着です。
小田原から5時間半。国道1号より3割増しで時間はかかるようです。
国道1号と違って何度か下ってからきつく登るところがあったのがその理由でしょうか。

 

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杉並木を抜けて関所跡にたどりついて今回はここまで。
次回は人気のない三島側の下りに挑みます。

 

旧街道をいく 第2回~東海道には史跡が多い~ (2013年1月14日)

伊勢参り二回目は保土ヶ谷からです。

午後2時に出発してほどなく進むと、東海道最初の難所・権太坂にあたります。
箱根駅伝で有名な権太坂ですが、実は本物の権太坂国道1号から外れた旧道にあります。
名前の由来は道を聞かれた老人が自分の名前を答えてしまった、代官の名前(権左衛門)から付けられて変化した、
など諸説あるようですが詳細は不明とのことです。
現代は閑静な住宅街ですが横浜ランドマークタワーまで見渡せる光景はなかなか見事であります。

権太坂を超えると境木地蔵尊に到達します。
このあたりは江戸時代は茶屋が多く栄えた場所とのこと。
周囲に坂が多く休憩が必要だったのでしょう。
ここでの名物が花を模した「牡丹餅」。これがぼた餅の起源とのことです。
本当でしょうか?

ここからすぐに品濃坂の一里塚があります。
当時の面影を割と残した史跡で、現在は公園にもなっています。
街道の両脇に5間(9m)四方の盛り土をし、木を植えることで木陰を休憩スペースとしたものです。
石碑が建っているだけではなかったのですね。

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東戸塚の駅前に出るところで環状2号線にぶつかります。
ここは大幅に土木工事をして旧街道の部分は見事に削られています。
そのためここは旧道がまさかの歩道橋になります。

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東戸塚から戸塚駅の間は国道1号沿いを進みます。
特にかわりばえなく戸塚宿に到着したのですが驚きました。
以前来た時(平成9年)の戸塚駅前は小さな商店が並んでいる雑然としたところだったのですが、
今は商店がすべて姿を消し、大きな駅ビルにかわっていました。
その名も「totsukana」
最近の流行りとはいえ15年でこんなにもかわってしまうとは、
200年たっても残っている史跡は貴重だなとつくづく実感した次第です。

戸塚駅前の王将で一杯ひっかけてから今日中に藤沢着を目指します。
途中の電柱に聞きなれぬ「宝ビスケット」の広告が連続してあらわれます。
調べてみると藤沢本社の菓子会社とのこと。
細かなアップダウンのあと、影取のあたりからは下り坂になります。
影取の名前の由来である悲しい昔話を読みつつ、
踊り念仏で有名な時宗総本山・遊行寺の急坂を下りきると、もう藤沢駅前です。

かつては鎌倉や江ノ島の玄関口として栄えた藤沢。
歩いてきてみると、たしかにここで休みたくなる気持ちはよくわかります。
やはり交通の要所というのは昔は今では比べ物にならないほど重要だったのでしょう。
地元居酒屋で日本酒を堪能し初日はここまで。

翌日は旧道を進むのですが、びっくりするくらい店がない(笑)
辻堂駅前までコンビニもほとんどありません。
唯一あったスーパーで宝ビスケットを探索。
「野菜クラッカー」だけ発見することができました。

再び国道1号を進み茅ヶ崎駅の少し先で鳥井戸橋という橋にあたります。
この橋は富士山がきれいに見えるのですが、進行方向にむかい左側にみえることから「左富士」として有名だったそうです。
しかも進行方向と90度左にみえることに、かなりの違和感を感じます。

相模川の手前で道のはずれに鎌倉時代の橋脚の史跡があります。

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もともとは水田だったところで、関東大震災のときに液状化現象で橋脚が浮かび上がってきたそうです。
現在の相模川とは数百メートル離れており、三角州地帯の河川の流れが短い間に大きくかわることを実感できます。

相模川を越えると平塚宿です。
平塚競輪が開催していなかったのは残念でしたが、駅前の渋い純喫茶「ルーク」のランチはなかなか美味でした。

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やはり客を完全放置してくれる純喫茶はたまりません。


ここから大磯宿までは非常に近い距離で一気に進みます。
しかし街道の史跡もここまでくると大体説明文がワンパターンです。
宿場町の江戸側の端が江戸見附、京側の端が京見附。
一里塚はお決まりの盛り土+休憩所のくだり。
これから先も何十とみるかと思うと少し笑えてきます。

湘南平をこえると山と海の距離が一気に縮まり、関東平野の終わりを感じます。
かつての別荘地である大磯はやはり保養地の空気を今も残しており、
これまでのベッドタウンとは明らかに一線を画します。
この空気は伊豆箱根のそれと非常に近いと言えるでしょう。

今回は大磯で終了。
次回はいよいよ箱根の山に挑みます。

 

 

旧街道を行く 第1回~大田区は23区で一番大きい~ (2012年11月3日)

政治・外交・経済・福祉と問題山積みの2012年日本。
まさに「きな臭い世の中」になってきたと言えるでしょう。
かつてこの国の人々は世情に不安を抱えると、願かけに巡礼の旅を廻るのが常でした。
というわけで、本年より「お伊勢参り」をスタートすることにいたしました。
なお参考文献は「東海道中膝栗毛」のため、目的は各地のうまいもの・おもしろいものの見聞です。(すでに趣旨が違う)

今回のルールは以下の通りです。
1.徒歩
2.宿泊はかつての宿場町であること
3.目標は3カ月に一度実施
4.天候・仕事などのやむをえない事情ではこの限りではない

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初回は日本橋からのスタートです。
午後2時にスタートし銀座を抜け第一京浜を南下。
しばらく歩くと高輪の大木戸跡に着きます。
かつてはここが江戸の端であったわけです。
さらに歩をすすめると品川駅。ここで八つ山橋を渡るわけですが、
ここから少し別ルート。
京急の一駅目「北品川」の駅前に向かいます。
実はここが旧東海道品川宿第一京浜と並行するように商店街が延々立会川まで続きます。
かねてから疑問だった「品川駅の南なのに北品川」。
これは品川宿の北側に位置しているという意味だったのですね。
つまりJR品川駅はかつての品川ではないわけです。港区にあるのも納得です。
昔ながらの商店街の喫茶店で早速ビールをひっかけて、
カレーパンを食べながら南進。
青物横丁の活気、立会川の親しみやすさ共に情緒深いものがあります。

大森手前で旧東海道は終了し第一京浜に合流。
しばらくは同じような景色が続きます。
しかしそこは京急沿線下町大田区
ちょっと脇に入れば香ばしいお店は多々あります。
とりあえず夕飯を梅屋敷駅前の居酒屋「梅林」へ。
もつ煮・串焼き・焼酎たいへんおいしゅうございました。
また黒霧島ボトル1600円だったので、とりあえず木部の名前でボトルキープ。
期限は2カ月なので、お近くにお越しの方是非お使いください。

もう夜も深まりましたが、江戸時代ではないのでさらに前進。
多摩川六郷橋をわたればすぐに川崎宿です。
とりあえず今日はここに宿泊。
しかしもう1杯飲みに出たんですが見事なまでのDQNシティー。
30代には少々ハードルが高く感じてしまいました。

翌日は朝から歩くのですが、
やはり運動不足なのか昨日の足の疲れが抜けません。
20キロでこれでは先が不安です。
鶴見・新子安とかわり映えのない景色を歩いていると雨がパラパラと。
なかなか気分が乗りません。
それでも京急神奈川駅前からは旧街道を発見。
駅前にちょっとした坂道があるのですが、
そここそ広重の絵にある神奈川宿とのこと。

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かつてはここが海岸線であったということですから、
今の横浜の街は大部分海の中だったということです。
ここもだいたい5m幅くらいの道が住宅地の中を延々続いていきます。
当時をしのばせるものは寺社仏閣に少々ある程度。
普通の通学路にしか見えない道です。
歩を進めると相鉄線天王町駅前に昔ながらの松原商店街が出現。
八百屋に活気がある商店街は良い商店街だと再認識。
冷やしタイ焼きをほおばりつつ、そのまま保土ヶ谷へ。

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JR保土ヶ谷駅前が保土ヶ谷宿にて今回はここまで。
次回は平塚・大磯あたりまでは行きたいものです。