ABU’s blog

世界競馬場めぐりと旧街道を行くの続編

旧街道をいく 第2回~東海道には史跡が多い~ (2013年1月14日)

伊勢参り二回目は保土ヶ谷からです。

午後2時に出発してほどなく進むと、東海道最初の難所・権太坂にあたります。
箱根駅伝で有名な権太坂ですが、実は本物の権太坂国道1号から外れた旧道にあります。
名前の由来は道を聞かれた老人が自分の名前を答えてしまった、代官の名前(権左衛門)から付けられて変化した、
など諸説あるようですが詳細は不明とのことです。
現代は閑静な住宅街ですが横浜ランドマークタワーまで見渡せる光景はなかなか見事であります。

権太坂を超えると境木地蔵尊に到達します。
このあたりは江戸時代は茶屋が多く栄えた場所とのこと。
周囲に坂が多く休憩が必要だったのでしょう。
ここでの名物が花を模した「牡丹餅」。これがぼた餅の起源とのことです。
本当でしょうか?

ここからすぐに品濃坂の一里塚があります。
当時の面影を割と残した史跡で、現在は公園にもなっています。
街道の両脇に5間(9m)四方の盛り土をし、木を植えることで木陰を休憩スペースとしたものです。
石碑が建っているだけではなかったのですね。

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東戸塚の駅前に出るところで環状2号線にぶつかります。
ここは大幅に土木工事をして旧街道の部分は見事に削られています。
そのためここは旧道がまさかの歩道橋になります。

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東戸塚から戸塚駅の間は国道1号沿いを進みます。
特にかわりばえなく戸塚宿に到着したのですが驚きました。
以前来た時(平成9年)の戸塚駅前は小さな商店が並んでいる雑然としたところだったのですが、
今は商店がすべて姿を消し、大きな駅ビルにかわっていました。
その名も「totsukana」
最近の流行りとはいえ15年でこんなにもかわってしまうとは、
200年たっても残っている史跡は貴重だなとつくづく実感した次第です。

戸塚駅前の王将で一杯ひっかけてから今日中に藤沢着を目指します。
途中の電柱に聞きなれぬ「宝ビスケット」の広告が連続してあらわれます。
調べてみると藤沢本社の菓子会社とのこと。
細かなアップダウンのあと、影取のあたりからは下り坂になります。
影取の名前の由来である悲しい昔話を読みつつ、
踊り念仏で有名な時宗総本山・遊行寺の急坂を下りきると、もう藤沢駅前です。

かつては鎌倉や江ノ島の玄関口として栄えた藤沢。
歩いてきてみると、たしかにここで休みたくなる気持ちはよくわかります。
やはり交通の要所というのは昔は今では比べ物にならないほど重要だったのでしょう。
地元居酒屋で日本酒を堪能し初日はここまで。

翌日は旧道を進むのですが、びっくりするくらい店がない(笑)
辻堂駅前までコンビニもほとんどありません。
唯一あったスーパーで宝ビスケットを探索。
「野菜クラッカー」だけ発見することができました。

再び国道1号を進み茅ヶ崎駅の少し先で鳥井戸橋という橋にあたります。
この橋は富士山がきれいに見えるのですが、進行方向にむかい左側にみえることから「左富士」として有名だったそうです。
しかも進行方向と90度左にみえることに、かなりの違和感を感じます。

相模川の手前で道のはずれに鎌倉時代の橋脚の史跡があります。

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もともとは水田だったところで、関東大震災のときに液状化現象で橋脚が浮かび上がってきたそうです。
現在の相模川とは数百メートル離れており、三角州地帯の河川の流れが短い間に大きくかわることを実感できます。

相模川を越えると平塚宿です。
平塚競輪が開催していなかったのは残念でしたが、駅前の渋い純喫茶「ルーク」のランチはなかなか美味でした。

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やはり客を完全放置してくれる純喫茶はたまりません。


ここから大磯宿までは非常に近い距離で一気に進みます。
しかし街道の史跡もここまでくると大体説明文がワンパターンです。
宿場町の江戸側の端が江戸見附、京側の端が京見附。
一里塚はお決まりの盛り土+休憩所のくだり。
これから先も何十とみるかと思うと少し笑えてきます。

湘南平をこえると山と海の距離が一気に縮まり、関東平野の終わりを感じます。
かつての別荘地である大磯はやはり保養地の空気を今も残しており、
これまでのベッドタウンとは明らかに一線を画します。
この空気は伊豆箱根のそれと非常に近いと言えるでしょう。

今回は大磯で終了。
次回はいよいよ箱根の山に挑みます。