ABU’s blog

世界競馬場めぐりと旧街道を行くの続編

旧街道をいく 第3回~箱根の山は天下の険~ (2013年5月19日)

伊勢参り3回目は大磯からです。

初日はあいにくの天気。大磯から雨の中国道1号線を歩き始めます。
狭めの歩道を進みますが、はっきりいって特に何もありません(笑)。
途中で城山公園や押切の坂で側道に入ると、旧街道の道幅を感じるところがありますが、
それもすぐ終わってしまいます。
あとは海も見えず、細かなアップダウンを繰り返しつつの同じ景色の連続です。
そして雨のため歩道を歩いている人がまったくいません。
いや、二人だけいました。
反対側の歩道に大雨の中カッパにママチャリで大荷物をくっつけた外人二人が。
なにを考えているのでしょうか?

国府津にさしかかったあたりで雨はピークに。
あきらめてしばしガストで休憩です。
15年前もこの近くで雨宿りをしたことがなつかしく思い出されます。
つくづく国府津とは相性が悪いようです。

雨も割に早くにあがり、酒匂川を越えて小田原市街地に向かいます。
片側1車線の道が突然広くなったらもう小田原の中心部です。
例によって宿場の江戸側の入り口「江戸見附」もみつかりました。
しかし宿場町としての小田原はこれまでの町と比べてもその面積はかつてない規模のようです。
往年の栄光がしのばれます。

翌日は天気もすっかり良くなりいよいよ箱根登山です。
国道1号の脇道に何度かそれますが、基本的には同じところを通ります。
そして小田急箱根湯本駅がみえたところで三枚橋を左折します。
ここからは旧東海道。ちなみに現在の国道1号線は明治に入ってから整備された道のようです。

湯本・奥湯本と温泉宿がちらほらと続きます。
ちょうどチェックアウトの時間ということもあり、
学生や家族連れの姿が目立ちました。
手ごろなお値段のところが多いのでしょうか。

三枚橋から1時間も進むとだいぶ宿も少なくなってきます。
ここで昨日の外人二人組か自転車で下ってきました。
怪訝そうな顔でこちらを見られましたが、まあそうでしょう(笑)。

須雲川の集落に差し掛かるあたりから、
ときおり「石畳の道」がでてきます。江戸時代をしのばせる情緒がありますが、
いかんせん急で滑ります。ヒールは厳禁ですのでお出向かれる際は御注意を。

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江戸時代の旧道沿いには昔からこのような小さな集落が点在していたそうです。
理由としてはきつい山道の休憩所として、そしてそのような道の管理運営のためだそうです。


須雲川を越えてからしばらく行くと江戸時代の旧道に重なる道が遊歩道として出現します。
ところどころに石畳もありますが、もはや完全な登山です。
途中に丸太橋などもあり、ここがあのリゾート地箱根かとは信じがたい光景です。
ちなみにこの道はちょくちょく舗装路と合流します。ふもとからのバスも通っていますので、
エスケープの充実した登山道としてはお手頃かもしれません。

宿場と宿場の間にある「間の宿」である畑宿に到達しました。
ここでランチにそばをいっぱいいただきます。
というか一軒のそば屋以外何もありません(笑)
ここからが東海道最大の難所・七曲(ななまがり)の急坂です。

七曲はその名の通り何度もくねくね曲がる道です。
平行する舗装路も箱根新道も同じようなルートを描きます。
この間を階段と石畳で縫うように進んでいきますが、
さすがにきついです。
ここまで標高400メートル登ってきた後にいきなり階段200段はこたえます。
それでも木陰に隠れながらなんとか進めば、甘酒茶屋に到着します。
昔の箱根の人足(箱根の雲助)が超人的な体力を持っていたんだと痛感させられます。
ここを駕籠で登るのは現代人には無理です。

甘酒茶屋から今一度石畳の道を進みます。

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割にきついところもありますが、芦ノ湖は目の前だと信じて進みます。
ちなみに江戸時代の情緒を手軽に感じたいのであれば、甘酒茶屋から芦ノ湖までのルートが30分ほどでいけてよいかもしれません。
歩いている人も大勢いました。

そして午後1時過ぎに芦ノ湖に到着です。
小田原から5時間半。国道1号より3割増しで時間はかかるようです。
国道1号と違って何度か下ってからきつく登るところがあったのがその理由でしょうか。

 

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杉並木を抜けて関所跡にたどりついて今回はここまで。
次回は人気のない三島側の下りに挑みます。