ABU’s blog

世界競馬場めぐりと旧街道を行くの続編

旧街道をいく 第7回 (2018年5月6日)

伊勢参り7回目は藤枝から出発です。

静岡駅から藤枝駅間の電車内は「さわやかウォーキング」なるイベントの集団と重なり満員に。初老の元気な方々は藤まつりに向かうようでした。団塊の世代はやはり元気です。

藤枝から島田までは現在のメインの車道と並行した旧道を進みます。途中日本三大奇祭の開催される大井神社を通り、島田宿までは淡々とした道のりが続きます。

島田宿は現在も駅前商店街です。どうしてもシャッターが目についてしまいますが、お菓子屋さんとなぜか玩具屋は複数元気に営業していました。「街道一の鯛焼き」をうたっている店もありました。街道は長いですよ。

島田宿を越えるとすぐに大井川です。往時の大井川の川越えを思わせる史跡が並び、すぐに大井川にあたります。現在は当然橋がかかっているのですが、なるほど上から見ても流れは急です。晴天続きでしたが、普段からこの流量であれば荷物を持った旅人が自力で渡るのは危険を伴うかもしれません。江戸防衛の重要拠点を実感します。

橋を渡り金谷に着くと、じわじわと登り始めます。金谷駅前からは当時を再現した石畳の坂が待ち構えます。途中のおしゃれな石畳茶屋で昼食をとり、ここから坂を登ります。一度登って下ると間の宿である菊川に到着します。ここは菊川という川に沿って広がる山間の集落です。現在の菊川駅とは山一つ離れたずいぶん違う場所にあたります。ここからさらにひと登りして小夜の中山峠に向かうのですが、正直予想外のきつさでした。地図上は一直線の道なので、たいした坂ではないだろうとタカをくくっていたのですが、直線なのに容赦ない角度で登ってきます。八十八夜の新茶畑の中を延々と登り続けた中山峠の標高は262m。東海道三大難所(箱根・鈴鹿・中山)と言われるだけのことはあります。峠を越えてからは緩やかに下りますが、次第に傾斜がきつくなります。日坂宿の直前にある二の曲がりは危険を感じるほどの下りです。

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日坂宿は国道1号が通るのですが、現在の電車路線からは離れているので寂しい印象です。しかしこういうところほど古い建物がかなり残っており、宿場町としての史跡を残そうという努力がみられるため、当時を偲ぶにはよい風景です。通り沿いの家に昔の屋号をかかげるのもこういった宿場では何度目かです。

ここから次の掛川までは、例によって国道沿いの脇道です。アップダウンも少なくだらだらと続きます。夕刻に掛川宿につきますが、まだ時間が早いためさらに進みます。天竜浜名湖鉄道をくぐって平坦な田園地帯を進みます。途中善光寺というお寺があります。ここは江戸京都の中間点という由緒あるお寺で、別名仲道寺と言います。道中の安全を祈願して先に進みます。袋井に近づくと、道中至る所に「東海道のどまんなか」というアピールが入ります。街をあげてのアピールはどまんなか田沼を思い起こします。足も疲れてここで1日目終了です。

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2日目は袋井からまず見附(磐田)に向かいます。しばらく進んで太田川を越えると磐田市に入るのですが、ここで突然アップダウンが始まります。袋井市の平坦さとは大きな違いです。磐田駅近くの高台が見附宿になります。名前の由来が初めて富士山が見えた場所というのは高台だからということがわかります。ここから下ると天竜川流域の広大な平野が広がります。見附宿は太田川天竜川の分水嶺なのです。静岡県はことさら分水嶺を感じやすいのが魅力です。

またもさわやかウォーキング集団と遭遇して、しばらく進むと暴れ川で名高い天竜川に当たります。これまでの河の中でも最大幅といってよい河です。広大な遠州平野を作った恵みの河でもあります。橋の上から浜松宿方面にことさら大きなビルをみることができます。10キロ先からでもわかるこのビルは200m超えの浜松アクトタワーです。ここからはFF2の竜巻のようにこの塔を目指します。この日は気候がいいこともあったのか、同じような東海道を歩く人に3人も会いました。東行きは一人もいないのが不思議です。

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浜松駅前は大都会です。アクトタワーの大きさに驚愕して今回は終了です。次回は浜名湖に挑みます。